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日 時 | ● | 1999年8月1日(日)/17:00開演 |
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会 場 | ● | 愛知県芸術劇場コンサートホール |
料 金 | ● | S席:4,000円/A席:3,000円/(全指定席) |
【託児室あります】 | ||
指 揮 | ● | 北原幸男 |
独 唱 | ● | sop:大橋ゆり/alt:伊原直子/ten:田代誠/bas:三原剛 |
管弦楽 | ● | 名古屋フィルハーモニー交響楽団 |
合 唱 | ● | グリーン・エコー |
● | 合唱指揮=高橋昭弘、荻野砂和子 | |
稽古ピアノ=山田礼子 | ||
宣伝美術=光岡久男 | ||
制 作 | ● | 藤井知昭、江崎栄二、グリーン・エコー |
主 催 | ● | グリーン・エコー |
後 援 | ● | 名古屋市、愛知県、愛知芸術文化協会、愛知県合唱連盟 |
入場券は市内主要プレイガイド、 チケットぴあ TEL052-320-9999 チケットセゾン TEL 052-320-9999 長円寺会館 TEL 052-231-0955 にてお取り扱いいたします。またメールでもご注文下さい。 |
1st. STAGE |
『死への頌歌』 Gustav Holst music / Walt Whitman words ODE TO DEATH 指 揮=北原幸男 管弦楽=名古屋フィルハーモニー交響楽団 合 唱=グリーン・エコー (演奏時間 約15分) |
2nd. STAGE |
独唱と合唱とオーケストラのためのオラトリオ 『我らが時代の子』 Michael Tippett(text&music) : Oratorio for soli, chorus and orchestra A CHILD OF OUR TIME 指 揮=北原幸男 独 唱=sop:大橋ゆり/alt:伊原直子/ten:田代誠/bas:三原剛 管弦楽=名古屋フィルハーモニー交響楽団 合 唱=グリーン・エコー (演奏時間 約70分) |
死への頌歌 Ode to Death |
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組曲「惑星」で知られるイギリスの作曲家グスタフ・ホルスト
(Gustav Holst 1874-1934)
には合唱作品も多い。
「死への頌歌」は詩人W.ホイットマンの有名な詩に寄せて書かれたものである。
「遅咲きのライラックが前庭に咲いたとき」がそれである。
ホイットマンはリンカーン大統領を敬愛し、
彼が1865年に暗殺された時、彼を悼んで書かれた。
この詩は長編で16の詩編からできており、
その中の第14編の一部がこの作品に用いられている。 ホイットマンは愛する人の死をどう受け止めていいのかわからないまま、 淡々と思い出をつづり、また木々や星に寄せて悲しみを共感する。 その中で一羽の小鳥が歌う1編の詩が彼の心を癒す。 それは「死への讃歌と、私の愛する人のための1編の詩」であった。 「来るがいい、愛らしい慰めてくれる死よ」 「おそかれはやかれ、優しい死よ」で始まり、 「私は喜んでこの讃歌を漂わす、喜びをもって、あなたの方へと、おお、死よ」 と結ばれている。 この詩は認めざるを得ない彼の死を前にして、 いやましに甘美で恍惚に満ちあふれている。 人の死はいつの世もそのようにして受け止めるしかない。 しかし真実にはそれで癒されるものでもない。 音楽は彼の死を讃えてのち、 悲しみを堪えて次第に静寂に戻り、 微弱音の「来るがいい」で終わる。(木島始氏の訳を使用しました) |
我らが時代の子 A Child of Our Time |
「世界はその闇の面へと転じる。今は冬」 冒頭のこの言葉が作品を象徴的に物語る。 作者にあるのは20世紀を包む、冬の時代としての直感である。 作品は1939年に手がけられ、1942年に完成、 そして1944年、ロンドンで初演された。 そういう時代を映す作品である。 サー・マイケル・ティペット (Sir Michael Tippett 1905-1998) はブリテンとともに戦後イギリス音楽界をリードしてきた作曲家で、 社会的不公正や迫害への義憤を強く抱き、 兵役にあたっては良心的兵役忌避者の申し出をしたが受け入れられず、 敢えて獄に服す人であった。 そんな彼にとって許すことのできない一つの事件があり、 それが作品のきっかけとなった。 ポーランド系ユダヤ青年が居住許可書を持っていないことを理由にフランスを追われ、 また彼の両親もポーランド国境で逮捕されひどい扱いを受ける。 それを知った青年はパリのドイツ大使館に忍び、 ユダヤ人迫害に抗議をし、発砲する。 作品には「独唱と合唱とオーケストラのためのオラトリオ」と書かれているようにオラトリオの形式を取り、 この事件をつづっていく。 おおむねテノール独唱はこの青年を、 またバス独唱は「マタイ受難曲」の福音史家のような役割を持ち、 ソプラノは青年の母親となるなどの進行をする。 そして合唱は民衆であるとともに、コラールを歌う。 しかしティペットの関心は事件を伝えることだけではない。 むしろ、この凍てつく冬の時代を越える救いと希望を求め、 歌い上げている。 「海の交響曲」のボーン・ウィリアムズが「海を見よ」と呼びかけるのに対し、 ティペットは「その人を見よ」と歌う。 この時代に生け贄として差し出されたこの青年があたかもイエスのように救いと希望として立ち現れるのか。 ティペット自身による詩の中にたびたび登場する冬につながる言葉はそれを暗示している。 「寒さが深まる。世界は凍るような水の中へと沈む。 そこには高価な宝石が横たわっている。」 「冬の寒さは内なる暖かさ、種子の密かな苗床を意味する。」 そして「嘆きの終わることはない、しかし変わらぬ希望がある。 流れる水は大地を蘇らせる。いまは春。」 こうして終曲の黒人霊歌 Deep River に続く。 黒人霊歌がしばしば用いられていることがこの作品の魅力であるとともに特徴を表している。 多くはユダヤの民の迫害を思い起こして歌い継がれてきた黒人霊歌 Spiritual を 作品の流れの中に自然に取り入れることに成功している。 その深い悲しみと救いへの祈りが作品の感動を増幅する。 あるいは、黒人霊歌を用いていると言うよりはむしろ、 その原意を現代において確かめたという方が正確であろう。 迫害、飢餓、破壊など許されないことがユダヤの民の時代のみならず、今も続く。 とともに、それを越える救いと希望は歌い継がれる、20世紀にして今なお。 ティペットの作品は、その意味ではさらに世紀を跨ぐことになるのだろうか。 とはいえ、彼の作品は20世紀を総括する数々の名作の一角を占めることは確かであろう。 |